日本における一般男性下着の変遷
前回は「日本において一般男性が下着を身に着けるようになったのはいつ頃から?」をテーマにブログを書きましたが、今回はその後のどうなっていったか、移り変わりについて調べてみました。
仕事着の役割も果たしていた「ふんどし」
ふんどしが一般庶民にまで広がり定着していったのが江戸時代というのは前回もお話ししましたが、初期の呼び方は「下帯(したおび)」。後期になって「ふんどし」という呼び方になったそうです。
当時のふんどしはただの下着ではなく、仕事着の役割も果たしていました。
大工、魚屋、職人や商人たちは、尻端折り([しりはしょり、しりっぱしょり])といって着物の裾を外側に折り上げその端を帯に挟むスタイルで仕事に励んでいたため、ふんどしは露出している状態でした。
今では考えられないことですが働く男がふんどしを見せるのは当たり前。というか、ふんどしは見せることを前提に締めていたようです。
今だと恥ずかしくて外に出られないという感覚とは真逆。そうした時代によって感性に違いを感じられるのも歴史の面白いところです。
明治維新は日本の下着文化にも革新をもたらしていた
そのようなふんどし文化が育まれた江戸時代も黒船来航や明治維新によって260年の歴史を持って大政奉還となり、日本の歴史が大きく動き始めました。
ここから近代化を進める文明開化の波が押し寄せたことによって男性下着の歴史もまた動き始めます。
江戸幕府が終わった文明開化のころ、訪日した外国人がお尻丸出しのふんどし姿を見て驚き、その声を聞いた時の権力者が「裸で街を歩くなと!」というお触れを出したあたりから「ふんどしを見せるのはみっともない」という風潮が芽生えていきました。
以後下着はふんどしではあることに変わりませんでしたが、周囲に見せるということは無くなっていったそうです。
また、明治の中頃になると衣服の西洋化が下着にまで及び、西洋のショーツと日本のモモヒキが結びつき猿股というふんどし以外の新たな下着の選択肢が出来たのもこの頃です。
その後の男性下着の歴史
長らく続いたふんどし主流の下着文化が決定的に変わっていたのが第二次大戦後。
戦後のアメリカの影響下で世の中全般が急速に欧米化していく中でアメリカ発祥のブリーフが主流となっていき、1980年代の半ばからトランクスが人気に。
そして、90年代の後半から今に至るまでにブリーフとトランクスのいいとこどりのようなボクサーブリーフなどが出たり、ファッション性を重視した下着も増えていき、様々な生地素材もどんどん開発されてきています。
現在では、お店に行くと本当に迷ってしまうほどたくさんの下着が世の中に溢れていますね。
まとめ
当社のふんどしパンツは、開発者が既存の下着に満足できない中で「ふんどし」の爽快感に驚きつつも、更衣室などで周囲の注目を集めてしまうことから「何とかふんどしの機能を活かしつつ現代風にアレンジできないか」と2010年に自宅の工房にて開発に着手し、ボクサーパンツ型の高機能男性下着として進化させたものですが、これまでの歴史の流れを思うと感慨深いものがあります。
(参照:ふんどしパンツとは・・・)
近年ふんどし自体もその着用効果を見直され愛用者も増えているようですが、やはり古来より日本の気候風土に合っているものなのでしょう。
これからもお客様に快適で楽しい毎日を送れるお役立ちができる商品を提供してまいります。
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投稿者プロフィール
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趣味:スポーツ観戦(メインはモータースポーツ全般、プロ野球、スキージャンプ)
最近は息子と虫捕り、キャンプに行って焚き火を眺めることにハマってます!
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